東京高等裁判所 昭和42年(う)1199号 判決
被告人 吉越せゐ子
〔抄 録〕
原判決が理由中の(弁護人の主張に対する判断)の部において論旨摘録のとおり説示し、被告人が捜査の段階で警察官の面前において二度にわたり帯締めを用いて犯行の実演をした際の結節の方法と実際のそれとが異なつている旨の弁護人の主張を排斥していることは所論のとおりである。そして絞殺事件の捜査上索条の結節、手口は慎重に採証されなければならないことも所論のとおりであるが、当審の事実取調における証人清道肇の証言、および原判決の引用する証人清道肇の原審公判廷における供述、司法警察員作成の昭和四〇年六月二八日付実況見分調書と題する書面、押収してある帯締め一本(ボール紙付)によると、右ボール紙付帯締め一本(当裁判所昭和四二年押第三八七号の七)は、昭和四〇年六月二四日当時被疑者であつた被告人が、長野警察署鑑識室において同署司法警察員巡査部長清道肇から、同人の用意した円筒(画用紙をまるめ、ホツチキスおよびセロテープで両端をあわせてとめ、片方に頭と記したもの)と帯締め一本(同署婦人補導員増尾貴美子の任意提出したもの)を提示され、これを用いておかあさんをしめた時と同じやり方で円筒を結ぶように指示されたので、右円筒の頭と記している方を先方になるようにして机上に置き、右帯締めの中央をたるませて両手に持ち、頭と記されている方を少し持ち上げ、先ず一重でしめ、次で二重でしめたうえ結節したのち、その円筒紙上に署名指印し、右清道肇はその結節がゆるまないようにするため、木綿糸一本で円筒紙に帯締めの数箇所を縫い付け、末端に紙片を貼り付けて自ら押印し、さらにそのうえにセロハンテープを貼り付けて作成したものであることを認めることができるのであつて、右ボール紙付帯締めが所論のように被告人の結節した儘の状態であることを疑わしめる証拠は記録上存しない。もつとも当審証人清道肇の証言によれば右帯締めの縫付、紙片の貼付は長野警察署鑑識室内でなされたものであるが、その際は実演を終つた被告人が同室から退出していたため、被告人の面前でなされたものではなく、その貼付紙片には、被告人の指印をえなかつたことが認められ、また被告人の右実演当時右清道肇らは、既に死体頸部の帯締めのねぢり方向が左まわりであることを知つていたとしても、これらの事由によつて直ちに被告人が長野警察署鑑識室内で右帯締めを結節したその後において、その結節部分になんらかの作為が加えられたものと断定することはできないのである。そして当審の事実取調における当審鑑定人佐藤文一作成の鑑定書、および当審証人佐藤文一の当公判廷における供述によれば、ボール紙付の帯締めは交差後左捻転されているものであることが認められ、しかも当審証人佐藤文一の当公判廷における供述によると、前記司法警察員作成の昭和四〇年六月二八日付実況見分調書、および所論の司法警察員作成の同年六月二〇日付検証調書にそれぞれ記載されている被告人の実演した帯締めの結節方法のいずれによつても、前記ボール紙付帯締めの示す結節とは異なる結節となり、符合しない結果となることを認めることができるのである。したがつて、原判決がその理由の部において説示しているとおり、右実況見分調書および右検証調書の記載、証人清道肇の原審公判廷における供述中、被告人の実演した帯締めの捻転の方向に関する限り、その点は実演の見誤りか、記憶の誤りによるものといわねばならないのである。当審証人清道肇の当公判廷における供述中この点に関する部分もまた、同様の誤りをおかしているものとしなければならない。されば原判決には所論のような非違はなく、論旨は理由がない。
(吉田作 堀 内田)